~ 2つの「小坪トンネル」 ~
図:小坪隧道(県道311号線)の場所

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トンネルで心霊スポットといえば全国的に有名な場所を訪問してきました。「鎌倉と逗子の間にある…」というフレーズはあちこちで見ることができます。

別に私は心霊スポットが好みなわけではなく、今回も心霊スポット好きな友人の誘いなのですが、今回は友人方面の知人が多く集まり車2台に分乗しての小旅行となりました。

鎌倉といえば町の中に大小さまざまなトンネルがあってトンネル好きには楽しいところですから、ついでにほんの少しだけ小さなトンネルを通らせてもらいました。

1999-05-30 : 訪問
1999-07-13 : 掲載
2021-09-21 : リニューアルに伴い加筆修正

小坪隧道(県道311号線)

実はここ、以前にも一度訪れたことがあり、その時に写真も撮っていたのでした。しかしそのフィルムを現像に出したところ(※当時はまだ現在のようなデジタルカメラではありませんでした)、全体が真っ白に感光していて現像できなかったというのです。

原因は安物ポンコツカメラのせいだとは思いますが(友人はだいぶ恐がってましたが)、今回は念のため、それとは別のカメラを持っていくことにしました。友人に至っては購入したてのSONY製デジタルカメラを装備して準備万端です。

トンネルの逗子側坑口近くに車を停めたのは午前2時頃だったと記憶しています。確か丑三つ時ってこのくらいの時間ですね。7~8人でぞろぞろとトンネルに向かいながら、カメラを持っている人は写真を撮っていました。そして車の通行が途切れたタイミングで私が車道に出て、トンネル入り口真正面に立ちシャッターを切ろうとした瞬間

カメラが突然電池切れのサインを出して止まってしまいました。

写真:小坪隧道東側坑口再撮影時の写真。撮影日がリセットされている
小坪隧道東側坑口再撮影時の写真。撮影日がリセットされている

あれ? 今の今まで何ともなかったのになぁ、と電源スイッチを押したり軽く振ってみたり、電池ボックスの蓋を開け閉めなどしてみますが反応がありません。そんなこんなで30~40秒ほど過ぎたでしょうか。突然カメラの電源が入りました。やれやれと思いつつ坑口を撮影。写真はその時のものなんですが、カメラの時計がリセットされたために撮影日の表示が1994年1月1日になっています(直前に撮った写真は当日の日付になっています)。後で試したところ、カメラの電池を取り外すなどして完全に電源を断った状態が十秒ほど続くと、カメラの時計がリセットされてしまうようです。

ところがこのカメラ、それから電池交換も無しにフィルムを使い切るまで問題なく撮り続けたのです。執筆中の現在も電池交換はしていませんし、あれから電池切れの表示は見たことがありません。

一体、あの時の現象は何だったんでしょう…

カメラが止まった後の30~40秒は歩道へ退避していたわけですが、もしも私が動揺して30~40秒車道の真ん中で立ち止まったままカメラを弄っていたら、その間に車がやってきて轢かれてしまっていた可能性に帰宅後気付きました。

この隧道は前後の道がカーブしており、ドライバーは隧道に入るまで出口の様子が見えません。もし隧道を通る車が速度を出していて(ここを夜に通る車は大抵速度が出ています)、人に気付くのが遅れてブレーキが間に合わなかったら…轢いてしまうことは十分にあり得ます。

心霊スポットとして訪問したつもりはありませんし、むしろ肝試しを目的とする訪問は忌避しているのですが、こればかりは背筋が涼しくなる体験でした。

小坪隧道・その他の写真

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写真:小坪隧道その他1:逗子側坑口(友人撮影)。よく見ると坑門が煉瓦作りなのが分かります。
逗子側坑口(友人撮影)。よく見ると坑門が煉瓦作りなのが分かります。
写真:小坪隧道その他2:逗子側の坑門に近付いて撮影。壁柱・帯石・笠石等立派な装飾を確認できます。
逗子側の坑門に近付いて撮影。壁柱・帯石・笠石等立派な装飾を確認できます。
写真:小坪隧道その他3:トンネル内で鎌倉側坑口に向かって撮影(友人撮影)。歩道は狭くて大人1人でいっぱいです。
トンネル内で鎌倉側坑口に向かって撮影(友人撮影)。歩道は狭くて大人1人でいっぱいです。
写真:小坪隧道その他4:鎌倉側坑口(友人撮影)。逗子側とだいぶ雰囲気が違うのは気のせいでしょうか?
鎌倉側坑口(友人撮影)。逗子側とだいぶ雰囲気が違うのは気のせいでしょうか?

立派な煉瓦の坑門が改修で一部失われているのは少々残念ではありますが、Wikipediaによると竣工は1883年(明治16年)であり、3つの世紀を跨ぎながらも未だ渋滞するような現役の車道として利用され続けていることも、また立派だと思います。今後も末永く存続して欲しいです。

もうひとつの「小坪トンネル」

図:小坪隧道(市道)の場所

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「鎌倉と逗子の間にある小坪トンネル」というキーワードを頼りに地図上を探すと、実はもう1つ、トンネルが候補に挙がります。

付近はトンネルが大小4つ(私有地内のものも含めるともっと)集まるトンネル密集地帯。このページ上部に掲載した地図の「至逗子マリーナ」と書かれている道を南下し、国道134号線の陸橋の真下で右折すると、右の地図の小坪トンネルに東側から到達できます(お手持ちの地図や上記GoogleMapでご確認ください)。ただし、付近には車を止める場所が無いに等しいので、駐車するならば適当な場所を探して、そこから歩くしかありません。

また、ここはさっきの小坪隧道と違い、民家が密集している区域です。山の斜面に張り付くようにして立ち並ぶ家々の間を散歩するのもまた楽しいのですが、くれぐれも住民の方々の迷惑にならないようにしましょう。

こちらの小坪隧道は先程のものより道幅が狭く、車1台がやっとです。トンネル自体はコンクリート壁のよくあるトンネルで、先程の小坪隧道と比べると新しいもののように見えます。

ここは単に写真を撮って通り過ぎただけでしたが、帰宅後、友人がデジカメで撮影した写真の1枚が私へ届きました。

送られてきた画像の一部
送られてきた画像の一部
写真:画像を加工(色彩を強調)したもの
画像を加工(色彩を強調)したもの

画像をクリックすると大きなサイズの画像が出ます。
原画像はこちら(1600x1200pixel,381kBytes)

問題の部分(らしい)

逗子側坑口付近からトンネルの中を撮影した写真なんですが、ご覧の通り、坑口の辺り?に青い光が2つ写っています。

カメラのレンズに付着したホコリなどに光が乱反射することはよくありますが、周囲に青い色の光源もないのにこのような色が写り込んでしまうことってあるんでしょうか。デジカメだからフィルムの不良でもないし。

友人は「心霊スポット体験談のページで書かれていた親子の顔だ」と言って恐がってますが(そう言われてみれば顔に見えなくもないけど)、個人的にはよくこんな微妙な色を発見したなとしか思いませんでした(^^;

もうひとつの「小坪トンネル」・その他の写真

各画像をクリックするとフルサイズが表示されます。

写真:小坪隧道(市道)その他1:小坪隧道鎌倉側坑口付近の壁を撮影。災害復旧工事とあります。過去にどこかが崩れたりしたんでしょうか。(友人撮影)
小坪隧道鎌倉側坑口付近の壁を撮影。災害復旧工事とあります。過去にどこかが崩れたりしたんでしょうか。(友人撮影)
写真:小坪隧道(市道)その他2:小坪隧道から歩いてすぐの場所にある住吉隧道。トンネル南側の住人が市街地へ抜けるための近道のようです。これは南側坑口。(友人撮影)
小坪隧道から歩いてすぐの場所にある住吉隧道。トンネル南側の住人が市街地へ抜けるための近道のようです。これは南側坑口。(友人撮影)
写真:小坪隧道(市道)その他3:住吉隧道南側坑口からトンネル内部。トンネルは南から北に向かって上り坂になっています。見ての通り、歩行者と自転車くらいしか通れません。
住吉隧道南側坑口からトンネル内部。トンネルは南から北に向かって上り坂になっています。見ての通り、歩行者と自転車くらいしか通れません。
写真:住吉隧道北側坑口。積まれた土のうと「落石あり通行注意」の立て札がちょっと不安ですが、よく手入れされているようです。
住吉隧道北側坑口。積まれた土のうと「落石あり通行注意」の立て札がちょっと不安ですが、よく手入れされているようです。

Wikipediaによると、こちらの小坪隧道は1913年(大正2年)竣工だそうです。見た目はそんなに古く見えなかったので、後年に大規模な改修が行われてコンクリートのトンネルとなったのではないかと推測します。

住吉隧道についてはネット上で資料を見つけられませんでしたが、隧道の歴史は結構長そうな気がします。元々は素掘りのトンネルだったのかな?

おまけ・山梨県 旧道坂隧道

写真:旧道坂隧道道志側坑口跡へ続く道路

小坪トンネルを訪れた一行は翌日も車を走らせて、何故かこんな山の中まで来てしまいました(^^;
これは山梨県の道志村と都留市を結ぶ県道にある道坂トンネルの旧トンネル跡です。新しいトンネルの道志側坑口の横に、旧トンネルの坑口へ続く細い道が延びています。

今までいくつかの旧トンネルを訪れてはいましたが、完全に塞がれていたのは今回が初めてでした。物理的に通行不能になったトンネルは訪れる人もなく、草木に覆われつつあります。

なお、都留側の坑口は確認できませんでした。完全に埋めたか取り壊してしまったものと思われます。

追記 : 都留側の坑口は同様に塞がれた状態で現存するそうですが、坑口へ至る道は意図的に自然へ還される工事が施工されており、到達は難しいそうです。

両坑口が塞がれている理由は新旧のトンネルが途中で交差しているためで、新トンネル開通時に旧トンネルは埋め戻されたそうです。

道志側の旧道に同様の工事が行われていない理由は、おそらくトンネル直前にハイキングコースと思しき入口があり、そこへのアクセス道路であるためではないかと推測します。

写真:旧道坂隧道道志側坑口跡