~ 東海道本線 旧逢坂山トンネル ~
図:トンネルの場所

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5月の連休を利用して、いつもの友人達と一緒に京都・大阪方面を旅行してきました。目的は某友人の好みにより、その地方の心霊スポット(^^;というものだったんですが、せっかくなのでとお願いして立ち寄らせてもらった場所のひとつが、この逢坂山トンネルです。

開通当時の東海道本線は大津駅より西へ向かわず、大津駅から一旦手前の駅までバックした後、現在の線路より南側を急勾配で山越えし、現在のJR奈良線の位置から京都駅へ至っていたそうです。その線路跡はほとんどが名神高速道路に潰されてしまいましたが、この逢坂山トンネルの片方の入口は、今もひっそりと残されています。

また、逢坂山トンネルは、外国の技術者の力を借りずに日本人だけで完成させた、最初の純国産(?)山岳トンネルなのだそうです。JR大津駅から歩いて行ける距離なので、廃線マニアや鉄道マニアならずとも、歴史的建造物の見学に良いのではないかと思います。

2000-05-04 : 訪問
2000-05-22 : 掲載
2021-09-21 : リニューアルに伴い加筆修正, 写真の追加
写真:橋台跡1
写真中央、ビルの土台部分が橋台跡
写真:橋台跡2。クリックすると大きな画像が出ます。
煉瓦積みの壁のような構造が確認できる

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京都方面より大津方面へ国道1号を走り、大津の入口で分岐する国道161号線に入ると、すぐに京阪京津線と交差する踏切があります。
この踏切の傍らに、かつて東海道本線の線路が京阪の線路を超えていた橋梁の橋台が残っています。
現在煉瓦作りの橋台の上にはビルが建っています。ビルの利用者は、かつてここが線路だった事を知っているのでしょうか。

写真:トンネル入口の入口

ここから国道1号の交差点に向かって数十メートル歩くと、道端にトンネル入口があります。

手前には観測所の看板がありますが、よく見ると奥の方に、木の枝に隠れた「鉄道記念物 旧逢坂山ずい道東口」と書かれたポールがあります。

写真:ポールが隠れている

現在トンネルは地震計などが設置され地殻変動の観測に使われているそうです。観測の邪魔にならないよう、トンネルを外から眺めるだけにしておきます。

写真:トンネル入口1。クリックすると大きな画像が出ます。
写真:トンネル入口2

上下線2本のトンネル入口がありますが、前述の通り現在も使用されているため、入口は塞がれています。下り線側のトンネル(写真左側)も入口から10m程のところに施錠された扉があって、立ち入ることはできません。

下り線のトンネル入口には、当時の国鉄が建てたとみられる案内板が残っていました。

写真:案内看板。クリックすると大きな画像が出ます。
写真:案内看板のテープ貼り部分。クリックすると大きな画像が出ます。
テープが張られた部分は「日本国有鉄道」の文字が浮かんで見える
写真:「坑門上部にある石額」。クリックすると大きな画像が出ます。
案内に書かれている「坑門上部にある石額」を撮影。

鉄道記念物
旧逢坂山ずい道東口

このずい道は明治11年10月5日東口から、又同年12月5日西口からそれぞれ掘さくを始め、約1年8ヶ月の歳月を要して明治13年6月27日竣工したもので、大正10年8月1日線路変更により廃線となるまで、東海道本線の下り線として使用されていたものであります。
全長664.8mにおよぶこのずい道は日本人技術者が外国技術の援助を得ずに設計施工した、我が国最初の山岳ずい道として歴史的な意義をもつものであります。
坑門上部にある石額は竣工を記念して時の太政大臣三條実美の筆になるものであります。

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(注: 「日本国有鉄道」の記載の上から黒いテープが貼られて隠されています)

昭和36年10月14日建設

案内板にはトンネルの概要が書かれていました。この看板自体、40年前(訪問当時基準)に建てられた結構な年代物です(^^;

「三條実美」でググってみると「三条実美」が正しい表記のようなのですが、実際の石額には旧字体で「三條實美」と刻まれているようなので、字体の新旧が混ざっているだけのようです。もしかしたら案内板作成当時は正しい字体なのかもしれません。
また下の黒いテープが貼られている部分は、よく見てみると「日本国有鉄道」の文字が浮かんで見えます。

今回は時間の都合で行けませんでしたが、トンネルの反対側の入口にあたる名神高速道路逢坂山トンネル入口付近に、直下にトンネル入口が埋められたことを記す碑が立っているそうです。